こんにちは。瑠那です。(*´꒳`*)
【夢の話】。
正確には【夢で見た話】を書かせて頂こうと思います。
(人が見た夢なんて誰が聞きたいねん!)
いや、まったくその通りです。笑
なので、読んで下さい!とは言うつもりはありません。(*´∇`*)
ただ、昔見た夢がとても印象的で私と父との思い出の1つとなっていたので、どこかで書いて残せたらいいなと思っていたんですよね。
最近、この夢をよく思い出すようになったので書きたくなってしまって。
このブログ内で書くか悩んだのですが、他にわざわざブログ立ち上げるのも…と思いここで書くことにしました。
もしお付き合いして頂ける方がいらっしゃいましたら、嬉しいです。(*´꒳`*)
父が亡くなった日
私が中学生だった頃、父が脳内出血で倒れました。
医師には『もうそんなに時間はないでしょう。』と言われましたが、父は1年も頑張ってくれました。
喉には呼吸器が付いていて、植物人間の状態だったので話すことはできませんでしたが、
『お父さん』
と呼びかけると、目がキョロキョロ左右に動き、
『左にいるよ』
と言うと、左に目を動かしてくれる父。
植物状態と言われていましたが、父は私にも母にも反応してくれていたので、それがとても嬉しかったのを覚えています。
私には、兄弟はいません。
父と母と私の3人家族。父がいない家では女2人泣いてしまう日も多かったです。
笑顔になれない、そんな日々が続いていました。
でも、1ヶ月を過ぎた頃…
このままではダメだ!
とようやく思えたのです。
それは、『1ヶ月ももたないでしょう』と言われた父が頑張ってくれていたから。
しんどい、つらいのは父が1番のはず。その父が1番一生懸命に頑張ってくれている。
なのに、私は…。
そう思った母と私は、笑顔を取り戻していくことができるようになりました。
父には感謝しかありません。
父は本当に頑張ってくれていました。
でも、だんだんと反応もしてくれなくなり、
『お父さん』
と声をかけても、私を見てくれることは無くなっていました。
私は、ただただその姿を見ることがつらくなっていき、父の病室にいる時間は少なくなっていったのです。
その頃、私は学校でいじめにあっていました。
母は知りません。
ずっと隠し続けてきました。
いじめは中学1年生から2年生の途中まで続きました。
母が知ったのは、高校生になってからだったと思います。その時は、いじめは受けていませんでしたから。
友達になった子とのきっかけを聞かれて、昔話として笑いながら母に話した記憶があります。
その友達というのが、いじめグループの下のグループにいた女の子。
その後、親友になった子です。
色々あって、誤解が解け1番の仲良しになったんですよね。
今回は夢の話なので、詳しくは割愛しますがクラス全員から無視され続けた原因は、いじめグループによる裏工作があったからで、その誤解が全部解け和解したんです。
ようやく、学校での苦しさがなくなったと思った直後。
私は父の死を告げられました。
父が倒れてから1年が経っていました。
【夢の話】父がくれた49日
その日私は悲しみの中にいました。
(もっと一緒にあげれば良かった。もっと色々してあげれば良かった…。)
そんな後悔の思いが、頭の中に駆け巡っていました。
その日は、お葬式。たくさんの方が父を見送ってくれています。
お通やが終わってからは、父の顔を見ながらずっと『ごめんね。ありがとう。』を心の中で繰り返していました。
(父ともっと過ごしたかった。)
そんな思いを抱えながら、お葬式も終わり家に父と帰ってきました。
その日の夜。
私は、父の姿を見ていました。
家の前にある公園から私を見ている父。
私の家はマンションの2階。
私は玄関から顔を出し、父を呼びます。
『お父さん! 何してるの?早く家に入ろうよ!』
笑顔で父を呼ぶ私。
でも、父は何も答えてくれません。
ただただ、微笑んでいるだけ。
『お父さん?どうしたの?』
もう1度声をかける私。
その瞬間、父はどこかへ行ってしまいました。
『え?お父さん?どこに行くの?ねぇ?待って!!』
そう言った瞬間、私は泣きながら目覚めました。
(すべて夢だったんだ…)
涙がポタポタと落ちていくのを止めることはできませんでした。
そして、その日から毎晩同じ夢を見るようになりました。
たまに、階段を登ってもう少しで家に着く!というところまで父が来てくれることはありましたが、決して家には帰って来てくれることはありませんでした。
母にその話をすると、少し悲しそうに微笑んで、
『お母さんのところには会いに来てくれないの。あなたのことがお父さんは心配なのね。お父さんあなたのこと大好きだったから。』
と、涙ぐみながら話す母に、
『そんなことない!お父さんはお母さんのことも思ってる!きっと私に少し霊感があるだけだよ…。』
と、慰めになったのかなっていないのか、そんな言葉しか出てこない自分に少し腹が立ち、話したことを後悔しました。
最初は戸惑っていましたが、話せなくても毎日父に会えることが嬉しくて眠るのが楽しみになってきていました。
これが、ずっと続いてくれたらいいのに。
そんなことを思うようにもなっていました。
だってそれは、父と過ごす幸せな時間だったから。
父が夢に出てから1ヶ月以上が経ち、今日も父に会える!と嬉しく思いながらその日も眠りにつきました。
『あれ?』
(お父さんのお姉さんがいる。あっおじさんも!)
その日は何故か、親戚一同が家に集まっていました。
お酒や豪華な食事で、皆ワイワイと楽しそうです。
(今日はちょっと違う夢だなぁ)
と思っていたら、
(あっ!!)
私は驚きました。
いつもは、家には帰って来ないお父さんがこの日は皆とワイワイお酒を飲んでいるのです!!
(ようやく帰ってきてくれたんだ!!)
私は、心から喜びました!
父の横に座っていたお姉さんが、私を『おいで。』と呼んでくれました。
周りの皆も嬉しそうに、私を父の元へ導いてくれます。
父の横に座った私は、
『お父さんお帰り!ようやく帰ってきてくれたんだね!』
と、嬉しさいっぱいの笑顔で父に伝えました。
父は、嬉しそうに微笑んでくれました。
そして、
『もう大丈夫だね。』
と父が言ったのです。
(え?)
私は驚きました。
(お父さんが喋った…。今まで一言も話してくれなかったのに。)
驚きましたが、それ以上に父と話ができたことに嬉しさが込み上げました。
ですが、それと共に不安も込み上げてきたのです。
この時、本当はなんとなくわかっていたのかもしれません。
父には、もう…。
『お母さんと2人で頑張っていけるね。』
ハッと父を見ると、
父が私にやさしく微笑んでいました。
私は、笑顔を一生懸命作りました。
(大丈夫じゃない。本当はもっと一緒にいたい!)
(でも…、もうダメなんだね。お父さんは私に笑顔になれる時間をくれたんだね。心配かけてごめんね。)
そして、
『うん。』
振り絞って出た言葉は一言だけでした。
それ以上口にしたら泣いてしまいそうだったから…。
その直後、
私の言葉を聞いた父は、嬉しそうに微笑んでそのまま消えていってしまったのです。
その光景を、私は黙ってずっと見つめていました。
その後
その日から、父は1度も夢に出てきていません。
後からわかったことですが、その日は父が亡くなってから49日目でした。
中学生だった私は、すごく無知だったのかもしれませんが49日に法要をすることは知っていましたが、意味などは詳しく知りませんでした。
なので、意味を知った時はかなりビックリしたことを今でも覚えています。
亡くなってからも、心配をかけてしまったことは申し訳なく思いましたが、私と母を想ってくれた父の気持ちがとても嬉しかったです。
父が亡くなってから、私も母も食事が喉を通らず…唯一キャベツの蒸したものだけはなんとか食べていました。
ですが、父の言葉を聞いた私は『私が頑張らなきゃ!』と決意しました。
母にも、父の最後の言葉を伝えました。
『ほらね。お父さんもお母さんのこと心配してたでしょ!私にお母さんを宜しくねって言いたかったんだよ。』
と話したら、母は泣きながら微笑んでいました。
その日からは、母も私もちゃんとしたご飯に少しずつ戻していくことができたのです。
母とは、
『お父さん、きっと急に逝ってしまったら私たちがダメになっちゃうと思って、1年も頑張ってくれたのかもしれないね。』
と頑張ってくれた父に感謝をしました。
この思い出は、私にとって宝物となっています。
最後までお読み頂きありがとうございました。